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 募金活動、私の思い
2010年05月29日 (土) | 編集 |
きなちゃんの心臓移植のための街頭募金が
倉敷駅前で連日されており、
毎日そこを通る私は、少しづつですが
通るたびに協力をさせてもらっています。

募金箱とチラシを持って立っている
若い子たちに「頑張って」と声をかけると
とても可愛らしい笑顔で
嬉しそうに「ありがとうございます」と答えてくれます。

色んな意見はあるでしょう。
昨日もこの募金活動に対する一文を目にしました。
批判ではありませんでしたが
「両親は、世間の誹謗中傷にさらされる覚悟がないと
こんなことは出来ない」
私には、「要は、その覚悟はあるのか?」といった意味に
感じられました。
はっきり言って、余計なお世話です。
きなちゃんが、この病気であると診断された時、
そんな大変な病気を持った我が子を
自分たちが必ず守ると決心した時、
この若い両親の中に、
何にも揺るがない大きな覚悟が出来ていたと、私は思います。

また、募金の一部が、メンバーのお弁当代や交通費になるのが
けしからんと言う意見。これは、ここだけに限らず、
私が長年関わっている「ユニセフ」などの団体に対しても
「団体の運営費に使うなんて」とよく聞きます。
いけませんか?
必要な活動費をそこから出すのも、気に入りませんか?
無償でなければ、善意ではありませんか?

私は、当然の事だと思っています。
私達は、ただお金を払うだけ。
それを運営してくれる人がいてこその募金だと思っていますから。
その活動に、募金の一部が使われるのは
至極当たり前の事と思っています。
ですから私は、その活動を支えている団体や、
メンバーの皆さんに対する感謝も込めて募金をしています。

また、募金活動をしている人に対して、
そんなことしているひまがあったら、働け・・・と。
特に、仕事を休んで募金活動に参加する父親に対しての言葉には
心底腹が立ちます。

今まさに命が尽きようとしている。
命の瀬戸際に立たされた我が子が目の前にいるのです。
今しかないのです。この子のために何かしてやれるのは。

自分は親として何が出来るのか。
日に日に弱っていく子どもに、なすすべもない。
親とは、何と無力なものなのか。
私自身、どれほど苦しんだことでしょう。

主治医に「どうか助けて下さい」と
泣いてすがるしかありませんでした。
子どもとの残された時間を、
子どものそばにいて、愛おしむしかありませんでした。
その一瞬、一瞬、全力で子どものためだけに生きました。

人の善意に頼ってでも、我が子を助けてやれるすべがあるなら
「助けて下さい」と、矢も楯もたまらずすがるのは、
親として当たり前の姿です。
上記のような事を言う人に問いたい
「あなたの、最も大切な人が、同じ状況だったらどうですか?
これが最後になるかも知れない。そうしたらどうですか?」


うちの社長は、認知症のお母さんのために
それまで東京で築いてきたものを皆東京において
倉敷に戻ってきました。
女手一つで大きくしてきた2つの会社。
様々な苦労をして得てきた人脈や信用。
その全てをおいて、戻りました。
その時に、何のためらいも無かったそうです。
大切な人を守るというのは、そういう事でしょう。

募金活動の初日にお目にかかった、きなちゃんのご両親。
憔悴したご様子でしたが
絶対に我が子を救いたいという思いと
何があっても、負けない。親としての覚悟が伝わってきました。

人は様々な事を言います。
責任がないからです

信念を持ってやっていることには
必ず人がついてきます。


どうか悔いのないよう、自分たちの思いを貫いて下さい。
大切な我が子のために。




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