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 消えない悲しみ
2011年08月05日 (金) | 編集 |
長女の27回忌を迎えました。

悲しみというものは
時間がたてば薄らいでゆくものだと思うのですが
子を失った悲しみは
時を経るほど、また違った感情が湧いてきて
決して癒えることはないような気がします。


最近時々思うのです。

何色が好きだっただろう
何が好物だっただろう
どんな笑顔を見せ
どんな声で私を呼んでくれただろう

私は母なのに、何一つ知らない。
思い出せるものが何一つない。
そして、今となっては
長女がここに生きていたことを
覚えている人もいない。

時に、その寂しさに押しつぶされそうになります。

そんな時いつも救ってくれるのは
姉を知らない3人の弟妹たち。
私が話す長女の話を、じっと聞いていてくれます。
ありがたい、本当にありがたいことです。



「子を亡くした親の会」の方の

「子を失った悲しみは
乗り越えられるものでも立ち向かうものでもありません。
悲しみは消えないのです。生きている間ずっと。

いくつになろうと、何年経とうと
悲しみを抱えたまま、
その悲しみの上に成り立つしかない人生なのです。

それが当たり前、それで良いんです。」


という言葉を聞き
はじめて、自分の気持ちと向き合うことが
できたような気がします。

そして、思ったのです。
「立ち直らなくて良いんだ」

娘の親として、ここに生きている以上
立ち直れることなど、あり得ない。
それで良いんだ・・・と。

次女より2歳上の長女。
その、決して埋められない2年を
私は死ぬまで追い続けるのでしょう。






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 子どもの権利条約、知ってますか?
2010年07月01日 (木) | 編集 |
ユニセフ活動を始めたのは24年前。
まだ、娘の死から立ち直ることが出来ずにいた頃でした。
当時のユニセフのポスターは、現在のように笑顔はなく、
目を閉じてぐったりした子どもを抱いた、お母さんの姿でした。
その、絶望的な悲しい目・・・
ポスターの中のお母さんは、まさに私自身だったのです。

「話す言葉が違っても、肌の色が違っても
悲しい思いに、違いがあるはずがない」


手元にあったお金を持って
多分、郵便局だったんだろうと思いますが
飛び込んで募金をしました。
それが、私のユニセフ活動の始まりでした。

1989年に国連総会で採択された『子どもの権利条約』
その後1994年、日本でも承認されました。
この時、私は、この『子どもの権利条約』
一人でも多くの人に知ってもらうべく
同じ想いの仲間とともに、学習会やセミナーを開催し
そのため、東京にある日本ユニセフ協会本部から
講師の方には何度も足を運んで頂きました。

その『子どもの権利条約』が採択されてから
20周年になりました。





今、私達の周りでは、児童虐待などの
子どもを取り巻く痛ましい事件がたくさん報道されています。
全ての子どもに、「愛され」「守られる」権利があります。
「健やかに育つ」権利もあります。

それは誰からも奪われてはいけない権利です。
たとえ、家族であっても奪ってはいけない権利です。

そのことを私達はもっとよく知り
真剣に考えなくてはなりません。






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 頑張ったね きなちゃん 
2010年06月17日 (木) | 編集 |
きなちゃんが、今日亡くなりました。
「救う会」のHPを、いつものように開いてみて知りました。

残念です。

きなちゃんには、絶対に助かって欲しいと思っていました。
ご両親が、必ずもう一度、
元気になったきなちゃんを、抱けますようにと祈っていました。
これからも、成長していくきなちゃんを
見ることができますようにと祈っていました。
ご両親の深い悲しみを思うと、涙がこぼれます。

きなちゃんと同じように
重い心臓病で、私の長女も亡くなりました。
きなちゃんと同じように、たくさんの管に繋がれ
何度も危篤になりながら、それでも懸命に生きた娘。
亡くなってやっと、管を外してもらい
私の手の中に戻って来た長女の、まだ残っていたぬくもりを
25年以上過ぎた今も忘れられずにいます。

時間が経てば、どんなにつらいことも
思い出に変わっていきます。
しかし、どんなに時間を経ようとも
決して変わらない悲しみがあります。


ただ一途に、きなちゃんを助けるためだけに生きた時間。
この日々の思い出が
きっとこの先、このご両親の支えになると思っています。

ご両親の限りない愛情と
多くの人々の暖かい祈りに包まれて
旅立って行ったきなちゃん

本当によく頑張ったね


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 募金活動、私の思い
2010年05月29日 (土) | 編集 |
きなちゃんの心臓移植のための街頭募金が
倉敷駅前で連日されており、
毎日そこを通る私は、少しづつですが
通るたびに協力をさせてもらっています。

募金箱とチラシを持って立っている
若い子たちに「頑張って」と声をかけると
とても可愛らしい笑顔で
嬉しそうに「ありがとうございます」と答えてくれます。

色んな意見はあるでしょう。
昨日もこの募金活動に対する一文を目にしました。
批判ではありませんでしたが
「両親は、世間の誹謗中傷にさらされる覚悟がないと
こんなことは出来ない」
私には、「要は、その覚悟はあるのか?」といった意味に
感じられました。
はっきり言って、余計なお世話です。
きなちゃんが、この病気であると診断された時、
そんな大変な病気を持った我が子を
自分たちが必ず守ると決心した時、
この若い両親の中に、
何にも揺るがない大きな覚悟が出来ていたと、私は思います。

また、募金の一部が、メンバーのお弁当代や交通費になるのが
けしからんと言う意見。これは、ここだけに限らず、
私が長年関わっている「ユニセフ」などの団体に対しても
「団体の運営費に使うなんて」とよく聞きます。
いけませんか?
必要な活動費をそこから出すのも、気に入りませんか?
無償でなければ、善意ではありませんか?

私は、当然の事だと思っています。
私達は、ただお金を払うだけ。
それを運営してくれる人がいてこその募金だと思っていますから。
その活動に、募金の一部が使われるのは
至極当たり前の事と思っています。
ですから私は、その活動を支えている団体や、
メンバーの皆さんに対する感謝も込めて募金をしています。

また、募金活動をしている人に対して、
そんなことしているひまがあったら、働け・・・と。
特に、仕事を休んで募金活動に参加する父親に対しての言葉には
心底腹が立ちます。

今まさに命が尽きようとしている。
命の瀬戸際に立たされた我が子が目の前にいるのです。
今しかないのです。この子のために何かしてやれるのは。

自分は親として何が出来るのか。
日に日に弱っていく子どもに、なすすべもない。
親とは、何と無力なものなのか。
私自身、どれほど苦しんだことでしょう。

主治医に「どうか助けて下さい」と
泣いてすがるしかありませんでした。
子どもとの残された時間を、
子どものそばにいて、愛おしむしかありませんでした。
その一瞬、一瞬、全力で子どものためだけに生きました。

人の善意に頼ってでも、我が子を助けてやれるすべがあるなら
「助けて下さい」と、矢も楯もたまらずすがるのは、
親として当たり前の姿です。
上記のような事を言う人に問いたい
「あなたの、最も大切な人が、同じ状況だったらどうですか?
これが最後になるかも知れない。そうしたらどうですか?」


うちの社長は、認知症のお母さんのために
それまで東京で築いてきたものを皆東京において
倉敷に戻ってきました。
女手一つで大きくしてきた2つの会社。
様々な苦労をして得てきた人脈や信用。
その全てをおいて、戻りました。
その時に、何のためらいも無かったそうです。
大切な人を守るというのは、そういう事でしょう。

募金活動の初日にお目にかかった、きなちゃんのご両親。
憔悴したご様子でしたが
絶対に我が子を救いたいという思いと
何があっても、負けない。親としての覚悟が伝わってきました。

人は様々な事を言います。
責任がないからです

信念を持ってやっていることには
必ず人がついてきます。


どうか悔いのないよう、自分たちの思いを貫いて下さい。
大切な我が子のために。




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 きなちゃんの募金
2010年05月27日 (木) | 編集 |
「きなちゃん」という1歳の女の子の
心臓移植のための募金が昨日から始まり、
倉敷駅前でも、救う会の皆さんが
募金箱を持ち、呼びかけていました。

「お父さんとお母さんは来ていらっしゃいますか?」
と居場所を伺い、会いに行きました。
お母さんは23歳。上の娘と同い年です、
そして、私が長女を亡くしたのとも同じ年。

昭和60年1月。私の誕生日の数日前、長女が亡くなりました。
有希子と言いました。もう25年になります。
重い心臓病でした。
初七日が私の誕生日。
それから私の誕生日を祝う事が無くなりました。

きなちゃんのご両親に
「昔、心臓病で子どもを亡くしました。
どうしてもきなちゃんには助かって欲しくて・・・」
と言いかけたところで涙が出て
後は言葉になりません。
きなちゃんのご両親も涙を浮かべて
「ありがとうございます。」と言って下さいます。

日に日に衰弱していく我が子を
なすすべもなく見ている辛さ。
きっと現在、この若いご両親も
あの時の私と同じ思いをしているのです。

有希子さえ生きていてくれるなら
他の何もいりませんでした。
お金を全部使っても、家を売っても良かったのです。
全て無くしても、有希子さえ生きていてくれたなら。

たとえ生きていて、たくさん苦労をすることになっても
やっぱり生きていてほしかった。
一緒に泣いたり笑ったりしたかった。
いっぱい、いっぱい、心配させてほしかった。
だけど、有希子は亡くなりました。
お金があっても助かる方法はありませんでした。
「なんで有希子が死んで、私が生きているの?」
と、生きている自分をどれだけ呪ったことでしょう。

もし、助けてやれる方法があるならば
なりふり構わず行動しました。
それには大金がいるとしたら
私もきなちゃんのご両親と同じ事をしたでしょう。

だって生きていてほしいから。
それが親だから。

いま、きなちゃんのご両親は、文字通り命がけで
この募金活動をしているのだと思います。
それだけが、いまのこの状況で
親として子にしてあげられる、唯一のことだからです。

時間がたてば周りの人は忘れてしまいます。
けれど、親は亡くなった子を一生忘れません。

きなちゃんのご両親が、そんな悲しい思いをしませんように。
アメリカに渡り、ちゃんと元気になれますように。
きなちゃんと一緒に、これからも生きていけますように。

「有希ちゃん、きなちゃんの募金1億5000万円。
絶対に集まるように、有希ちゃんも応援してね。」
娘のお位牌に手を合わせました。

きなちゃんとご両親の幸せを心から祈っています。




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